[ 山吹の里 ]
一、八重に七重に山吹の 花は咲いても実はならぬ あの歌は オヤ あの歌は
二、雨は篠つく武蔵野の 賤の乙女も山吹の 花が咲く オヤ 花が咲く
三、見ればなつかしその頃の 賤の乙女も山吹の しのばれる オヤ しのばれる
四、太田道灌山吹の 里というのは越生町 見においで オヤ 見においで
昭和の初め頃、八高線開通にともなって、町で越生の歌を作ろうという話が持ちあがり、依頼を受けた野口雨情は、その頃に観光名所の目玉にしようとしていた山吹の里を訪れて、大変に気に入ってすぐにこの唄を書き留めたということです。
越生の山吹の里は、ちょうど河越城から越生・小杉への通り道にあたります。旧小字を「山吹」といい、越生一門の山吹一族が熊野神社の神主を務めていました。 野口雨情は山吹伝説に太田父子と越生の深い関係を即座にみいだして詩を書き上げたのかもしれません。また同時につくられた「越生小唄」には越生の名所がたくさん盛り込まれていますが、まず始めに登場するのが山吹の里なのです。